《三國志12》新截圖及武將資料 遊戲開發進度50%
在2012年來臨之前,我們終於得到了《三國志12》即將發布的消息,這讓無數三國粉絲無比激動。雖然三國題材的遊戲已經有泛濫之勢,可是《三國志》系列卻一直以高品質著稱。最新作《三國志12》可說是萬眾矚目。現在就讓我們來看看武將的詳細資料及設定圖。
魏國
曹操
そうそう
字:
孟徳
もうとく155年~220年
許劭から「治世の能臣、亂世の姦雄」と評される。黃巾賊討伐で活躍し、董卓が実権を握ると諸侯に董卓打倒を呼びかけて挙兵。その後、兗州を平定して青州兵を加え、獻帝を許昌に迎えて政権を握る。呂布、袁術らを倒し、官渡の戦いで袁紹を破って河北を支配。次いで劉琮を下し江東に迫るが、赤壁の戦いで孫権、劉備の連合軍に敗れ、全土統一の機會を逃す。
翻譯:被許劭評為[治世之能臣、亂世之奸雄]、討伐黃巾時活躍、在董卓掌權時籌劃反董卓聯盟。之後,平定兗州並收服了青州兵,在許昌恭迎獻帝後掌握大權,先後擊敗呂布、袁術、並在官渡擊敗袁紹統一河北。之後南下迫使劉琮投降,在赤壁敗於孫權、劉備聯軍,錯失了統一的機會。
郭嘉
か く か
字:
奉孝
ほうこう170年~207年
程昱の推挙で曹操に仕え、自身は劉曄を推挙する。劉備が曹操を頼った時、荀彧と程昱が劉備を斬るように進言したのに対し、劉備を斬ると人心を失うと諭した。官渡の戦いの前、曹操には袁紹に勝つ十の勝因があると説き、袁紹よりも呂布の討伐戦を優先させた。その後も孫策の早世を予言し、袁家の滅亡も正確に見抜くが、袁尚討伐戦の途中に病に倒れた
翻譯:經程昱推薦出仕曹操,並推薦了劉曄、劉備依附曹操時,荀彧和程昱均進言將劉備處斬,但郭嘉提出反對意見,認為若斬劉備將失人心。官渡之戰前,提說曹操與袁紹的十勝十敗之說,認為應在討伐袁紹前討伐呂布。之後對孫策的早逝,袁家的滅亡都有準確的判斷,但在討伐袁尚的征戰中病故。
司馬懿
し ば い
字:
仲達
ちゅうたつ179年~251年
荊州の関羽が襄陽を攻撃した際、孫権と同盟して関羽を攻める策を獻じた。曹丕の信任を受け、曹叡の代には雍州と涼州の軍事を統括。諸葛亮と馬謖の計略で謀反を疑われ、一度は職を解かれるが、諸葛亮が北伐を始めると復職。以後、諸葛亮が五丈原で陣沒するまで、蜀軍を防ぎきった。
翻譯:在關羽進攻荊州的時候,提出與孫權聯盟共抗關羽的策略。受曹丕、曹叡兩代信任,總督雍涼兩州軍事。受諸葛亮與馬謖計策所害,一度被解職,但在諸葛亮北伐時復出。之後,諸葛亮在五丈原去世,仍繼續負責對蜀軍防務。
蜀國
劉備
りゅうび
字:
玄徳
げんとく161年~223年
漢の中山靖王・劉勝の子孫。桃園の誓いで関羽、張飛と義兄弟となり、黃巾賊や董卓の討伐戦で活躍。徐州牧・陶謙から請われ地位を譲り受けるが、呂布に奪われ曹操を頼った。獻帝から皇叔の呼び名を賜り、曹操暗殺計畫に參畫するも露見。袁紹や劉表を頼って落ち延びた。三顧の禮で諸葛亮を迎えた後は、荊州益州を支配する一大勢力圏を築く。
翻譯:中山靖王·劉勝的後裔。在桃園結義中與關羽、張飛結為義兄弟、活躍於黃巾之戰。受徐州牧·陶謙邀請受讓徐州、被呂布奪走之後依賴於曹操。之後受獻帝賜皇叔之名,參加了衣帶詔討伐曹操但敗露。之後先後投奔過袁紹、劉表。依靠三顧之禮請出諸葛亮後,構築了橫貫荊州益州的強盛勢力版圖。